そして最後に知っておくべきことは、意識は選択できないということ。「やりたいからやる」のではなく、「やった結果やりたかったということがわかる」のです。これを「受動意識仮説」と言いますが、驚くべきことにどうやらそれが本当らしいことを「単純な脳、複雑な「私」」は指摘しています。
だとすると自由意志(free will)というのは存在しないことになります。ということは自由は存在しないのでしょうか?同書は指摘します。「自由否定(free won’t)ならあるよ」、と。「何をしたいか」は選べないけど、「何をしないか」なら選べる、と。そして最後に残った「何をした」が「何をしたかったか」を決めるのだ、と。
ということは、意識というのは「やってきたこと」だけではなく「やらされてきたこと」によっても決まるということになりませんか?その結果生じた意識は、いったい誰のものなのでしょうか?
心がけのたぐいが嫌いで苦手な私の数少ない心がけ、それは二択問題が出たら必ず三択目があるかを探し、三択問題なら四択目があるかを探すということ。n+1番目の選択を自分で用意すれば、たとえ相手が提示した選択肢を選んだとしてもそれが「やらされた」ことのではなく「やった」ことになるからです。それは自分で探した選択肢を自分で捨てたということなのですから。「あまのじゃく」というより「よくばり」と言ったところでしょうか。